ゲスト寄稿者・池本氏のフィールドワーク参考文献とGinger Rootの新譜|ecg.mag #15

notes(音色/手記)とルーツ(roots/routes)に思い馳せる
enchant chant gaming 2024.09.30
誰でも

ecgの太田です。

ゲスト寄稿者はまだまだ続きます。今回のゲストは大学生の池本次朗氏です。氏が高校生の頃、じぶんと瀬下は島根県津和野町で氏もふくめた移住者たちと共同生活をしていました。当時のことをふりかえりつつ地方移住について考えた『移住と実存』というZINEを、上記三者はともに編集・執筆した間柄でもあります。また、ecgのわれわれが制作したZINE『意味ないのに無限』に寄稿してくださった経緯もあり、ecg準レギュラーの感もある池本氏のテキストをお届けします。

ちょうだいした原稿を一読し、本を貸し借りした日々のことを思い返していました。そして言葉遊びの感もありつつ、個人的にはnotes(音色/手記)とルーツ(roots/routes)に思い馳せます。フィールドノートを通じて思索を深めること。音の響きに耳を傾け、民族的なルーツやひとつの個人が辿った複数の経路を想像してみること。なにかそんなような感慨に耽ります。

🌐今月のトピック紹介

8月末から3週間ほど、訪問診療のフィールドワークを行うために福島県いわき市に滞在していた。朝早くからフィールドに出て、夕方に拠点に戻ってからは本を読む、という日々のなかで、むさぼるように読んだのがこの一冊だ。紀伊國屋じんぶん大賞2024でも第二位となったので、知っている人も多いかもしれない。マニラの貧困地区におけるフィールドワークで現場の様子を丁寧に記述しながら、「貧困と時間」の理論を立ち上げていく。ただ観察するだけではない。フィリピンにいながら、石岡は自分の家庭環境を想起する。現場から知識を得るのではなく、共に知識を立ち上げていく過程が鮮やかに描かれていた。一日の終わりにフィールドノートをまとめながら、「書くことは考えることである。考えることが書くことによって結実するというのではなく、書くことが考えることであるというこの順序を大切にしたい。」という冒頭の力強い言葉を何度も思い返していた。同じ著者が出したばかりのちくま新書『エスノグラフィ入門』も併せて読みたい。(池本)

中華系アメリカ人3世のGinger Rootが9月13日にリリースした3枚目のアルバム。YMOやVulfpeckなど、さまざまなアーティストからの影響を感じられる音色は、安心感の中に新しさがあり、涼しくなりはじめたこの時期に聞くにはうってつけのアルバムだと感じた。十番テレビという架空の企業がMVやアルバムに現れる様子は、少しVaporwaveっぽいなとも思ったり。『RollingStone』に掲載されているインタビュー記事も秀逸。自らのルーツに向き合いながら、マルチな活躍を続けるGinger Rootを今後も追いかけようと思った。来年にはジャパン・ツアーも予定されているとのこと。行ってみたい。(池本)

慶應SFC・小熊英二研究会の2023年度卒業論文のうちのひとつ。早川公『まちづくりのエスのエスノグラフィ』やギデンズの再帰的近代化を下敷きにしながら、「まちづくり」活動の中で、地域の伝統がどのように再解釈されるのかを、富士吉田市で開催された地域芸術祭の調査を通じて明らかにしようとする。「日本遺産」のストーリーも同じ枠組みで分析する価値がありそうだと感じた。内容が面白いのはもちろんのこと、丁寧な議論の整理も含めて単なる学部の卒論とは一線を画すクオリティだと感じた。2つ上の人がこんなに書けるんだ…というプレッシャーと感動を覚えつつ、来年取り組むことになる卒業研究について考えをめぐらせている。(池本)

日本橋高島屋の本館に位置する史料館TOKYOという展示室で行われている展覧会。監修は建築史家の五十嵐太郎氏。歴史的に「古典主義の影響が強い町並み」を有する日本橋エリアに関して、建物のさまざまな意匠を読み解く展示となっています。しかも、会場内の床面には、日本橋エリアの地図がプリントされています。展示を観たあとは、じっさいに街歩きに繰り出して建物の現物を観察するのも一興でしょう。

歴史的なテーマに沿った街歩きツアーの試みは、地方ではいくつか企画されています(し、じぶんも島根県津和野町で似た企画をやったことがあります)。大家の五十嵐太郎氏が都心でそれをやっていることが興味深く映りました。氏はかつて「ほとんどの場合、美術展では現物を観られる。しかし建築展にフルスケールの現物を展示するわけにはいかない」(大意)といったことを語っていました。建物のなかに建物を置けないならば、街歩きの導入になるような展示企画をすればよい。──足もとの地図を眺めながら、そんな意図を感じました。(太田)

各所で話題のネトフリドラマシリーズ。もう語られ尽くしている気もしつつ、やはり少し書いておきます。これは土地の所有者になりすましてデベロッパーに他人の不動産を売りつけることを生業とする詐欺師の物語で、英題は『Tokyo Swindlers』。これを直訳すると「東京のペテン師たち」でしょうか。英題のとおり、海外から見たら東京のキッチュなビジュアルの現代版が楽しめそうな作品に仕上がっています。

個人的には、ダブル主演のひとりである綾野剛演じる「交渉役」が、最終話の病室で朴訥と語る反省の脚本がよいなと思いました。そこでは、詐欺という営みの実存的な意味が掘り下げられます。いわく、破綻なく首尾一貫した虚構(詐欺)を作り上げる「仕事」に打ち込むことで、自らの空っぽの人生から目をそらしたかった、と。それに対して刑事(池田エライザ)は、真顔で「仕事じゃありません。犯罪ですよ」と応じる。さながらボンド映画やケイパー(集団泥棒)ムービーのクールさをまとった詐欺シーンの数々に感情移入していた観者たちは、例の刑事のセリフでいっぺんに現実に引き戻される。そんな効果がありました。

と同時に、首尾一貫した虚構の制作とは、ほとんど映画作りそのもののことでもあります。“ある種の映画作りに打ち込んだ者たちを活写した映画”という点にも、本作の魅力が存していそうです。(太田)

それなりに共感できる批評文について、なにかを書くのは難しい。というわけで、ひとまず本論っぽくない部分にコメント。

注のところで、ある作品が伝説化することとその価値?について書かれていて面白かった。「二〇〇〇年以降の小説が面白いものであっても軒並み入手困難になっているこの現状は、ある意味そのころから「伝説」に金が払われなくなった、ようするに「伝説」の商業性、ひいては文学性が否定されるようになったという見方もできるかもしれない」。ぼくは伝説の換金性や換権威性が(一見)低くなればなるほど、誰も伝説を志向しなくなるので、むしろその価値は上がっていく……というふうに考えてしまうけど、それはもはや論点ではないのかもしれない。

伝説の潜在的な価値の上下ではなくて、実際問題、その価値を現実化できるのかどうか。資産の価値が上がったって、売れなきゃなんにもならない。焦げたキャッシュフローの匂いがする。(瀬下)

大変勉強になったというか、不明を恥じた。当該問題について、自分は出版社がヘンな契約をさせられていないかという損得っぽい観点でしか考えていなかったのだけれども、このエッセイは難しくないし深い。ぼくがなるほどなあと思ったのは、AI企業と大手出版社のライセンス契約について、AI分野の新規参入・競争という論点を指摘しているところ。要するに、出版社がデカいAI企業と契約を結んでしまうと、新しいスタートアップみたいなところがAIのトレーニングをするときに使えるリソースが減っちゃうし、もし出版社の著作物を使っていたらすぐ先のデカいAI企業が取り締まれちゃうよね……っていう。(瀬下)

地域おこし協力隊による地域産業の継業支援が増えているって分析がちょっと面白かったので。ランキング自体は算出の方法が公開されてないので基本的には無意味だが、いまっぽいことやってるかもしれない自治体リストみたいな使い方はできるかも。

ちなみに、このアンケートをやってるココホレジャパンが一昨年まで出していた継ぎやすいまちランキングも結構楽しいので興味ある人は見てみてもよいかも(というか、こっちのほうが断然面白いですネ)。(瀬下)

予算1000億ドル超のメガプロジェクトを研究している著者が「なぜ巨大プロジェクトはうまくいかないのか」を研究した本。発電所やコンサートホールなどの大型プロジェクトが爆発四散し、関係者が大変なことになる事例がたくさん出てくるので、単純に読み物として面白い。プロジェクトマネジメントの教訓話としても色々と興味深いものがあった。たとえば「ゆっくり考え、すばやく動く(計画にとにかく時間を使え)」とか、「プロジェクトの工数を見積もる時には、単純な工数積み上げではなく、必ず他の類似事例でリアルにかかった工数を参照するべき(その際、絶対に自分たちのプロジェクトを例外・特別と思わないこと!)」とか。

ちなみに本書によれば、複雑で巨大な1個のシステムを作るプロジェクト(原発やオリンピック、ITシステムなど)は、小さいモジュールを積み重ねて巨大な全体を作るプロジェクト(太陽光発電や風力発電、道路など)に比べて、ずっと崩壊しやすいらしい。オリンピックを開催するときにはぜひ気をつけたい。(松本)

最近、芦名勇舗氏への密着動画をきっかけに、レッツゴーなぎら氏の動画をよく観るようになった。なかでも面白いなと思ったのが、株式会社おくりバントの代表高山さんへの密着動画。ブランディングとは何かということについて考えさせられる。最近芦名さんがおくりバントのオフィスを訪ねていたり、(なぎらさんがもともと所属していた)GOAL-Bのラジオにも出演していたりと、なぎらさん周辺にコミュニティが形成されている感じが徐々にわかってきて、ウォッチャー的な楽しみを味わっている。たしかにほとんど男性しか出てこないし、起業家的マッチョさが一応ベースにはありはするんだけど、それを中和していこうとする雰囲気も感じてどうも気になってしまう。(松本)

積んだままでちゃんと読めていなかった米山先生の『定義集』講義を最近少しずつ読み進めている。アランの『定義集』は、アルファベット順にさまざまな抽象概念の定義を並べた小著。たとえば最初の項目、「意気消沈」にはこんな記述がある──「それは思いがけぬ一つのショックに続いて起こる状態であり、打ちひしがれていることとは明白に異なる状態である。後者の状態は次第に蓄積されて起こる。意気消沈は自然なものであり、時の流れに委ねることが必要だ。それは休息の時なのである」(米山訳・訳注省略)。意気消沈と打ちひしがれは、だいたい似てはいるものの、たしかに言われてみると若干ニュアンスが違うような感じもする。その微妙なニュアンスの違いをあえて突き詰め、他の類似語との違いを明確に言い切れるところまで掘り下げるのが、アランのいう「定義」。「その語は他の語とどう違うのか」を突き詰める過程で、抽象的だったはずの概念に固有の色と手ざわりが生まれるところが面白い。「こういう時には使いたくなるけど、こういう時にはしっくりこない」みたいな、単純な語義とは異なる感情的な質感が生まれる。あらたな造語や術語を使って表現するのではなく、日常的な単語の転用であることも重要で、日常語のニュアンスを変質させることは、つまり人々の日常的な思考に介入しうるということでもある。だから単語はそれ自体がひとつのメディアだし、「定義」はひとつの散文ジャンルといえる。こうした「定義」そのものの面白さについては、森有正訳の『定義集』(みすず書房)に収録されている所雄章と辻邦生の対談でも語られているので、興味があったらぜひ読んでみて欲しい。(松本)

🔗オマケ

📒編集後記

  • 紀行文風カードゲームエッセイを書く活動を続けています。今月は吉祥寺ZINE フェスティバルというイベントで、そのアウトプットを頒布できました。12月の文フリ東京にも持っていく予定です。興味ある方いらっしゃれば一足先にシェアするのでお声がけくださいませ~。(太田)

  • 先月は松岡正剛が、今月は唐沢俊一が亡くなった。ふたりの死(にかんする情報)は、自分にとってすごく近いものに感じられて、ヘンな気分だった。著名人の訃報って、どうでもいいものだったのに。(瀬下)

  • 最近は「大義みたいなものがないとこの先頑張れなくない?」みたいな、学部2年生的な悩みでぼんやりしています。涼しくなってきたからなのか……。(松本)

***

ここに入りきらなかったURLを貼ったり、ゲーム制作の進捗を報告したりするDiscordをやっています。気になる方はコチラからぜひ覗いてみてください。(瀬下)  

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